チンパンジーえにっきイメージ

岡山県玉野市にあった類人猿研究センター(GARI)で研究のパートナーとして暮らしていたチンパンジー8人。
彼らのようすを、写真を添えてつづってきた2004年8月から2013年3月までの「えにっき」の記録です。

2005.7 「ツバキの出産」

2005年7月8日、午前4時前。

ツバキの陣痛がはっきりと確認されたのは、外もまだ暗い夜明け前のことでした。
出産に備え、約一ヶ月前からスタッフが交替で夜間も観察を行ってきました。
この時も、監視カメラには、ロイやジャンバなど他の4人がのんびり寝ている横で、うつぶせになり、腰を上げ、陣痛に耐えているらしいツバキの様子がしっかりと映っていました。

スタッフ全員に緊急連絡。
眠い目をこすりながら、早朝からぞくぞくとスタッフが駆けつけ、ツバキの出産に備えます。
飼育下のチンパンジーの出産では、ほぼ2例に1例の割合で、母親が子どもを抱かない、うまく育てられないなどの「育児拒否」をすると言われています。
これは、野生のチンパンジーのような「おばあちゃんやお母さんや近くのおばさんのする子育てを見て学ぶ」ということができにくい環境にあることが原因です。

ツバキも3歳までを母親と一緒に過ごしたものの、類人猿研究センター(通称GARI)に来てからは同じ年代の子どもの集団で育ってきたため子育てを見たことがありません。
スタッフの間でも「ツバキがちゃんと赤ちゃんを抱くか」ということは、とても心配されたことでした。

午前7時10分。

いつもより少し早めのチンパンジーの朝食が始まります。
「おはよう、ツバキ。」と声をかけた時、ツバキのお尻のあたりからはすでに血交じりのおしっこのようなものが流れていました。

この日は、いずれお母さんになるであろうミズキとミサキのために、この二人も隣の部屋でツバキの出産に立ち会わせることにしました。
この朝食時も、ミズキとミサキがいつものケンカをしている横で、ツバキは一人苦しそうに陣痛に耐えていました。 がんばれツバキ。

午前7時50分。

行動学実験室の大きな部屋にミズキとミサキ、ワラを敷き詰めた小さい部屋にツバキと不破研究員、洲鎌獣医師、私が入り、いよいよツバキの出産が始まります。

実は、私はヒトの出産はおろか、犬の出産にも猫の出産にも立ち会ったことがありませんでした。
全く初めての経験です。それゆえ、実は自分が出産に耐えられるのかも少し心配だったのです。

ツバキが腰をあげ、「んっ・・・。ふぅ・・・。」と苦しそうにいきんでいます。
いきみと同時にツバキのお尻のあたりが大きく盛り上がりました。
でも、まだ赤ちゃんは出てきません。

体にビリっと電気が走ったように時々ツバキはぶるっと体を震わせていました。
いきんでは休み、いきんでは休み、陣痛の痛みが繰り返しやってきているのが見ているだけでも分かりました。
目の前で陣痛に耐えているツバキを見ていると「私は子どもを生むのやめとこうかな・・・」とさえ思いました。
ちょうどその頃、ツバキのお尻あたりから白い羊膜(胎胞)が少し見えてきました。
がんばれ、ツバキ。もう少しだ。

午前9時18分。

ツバキがおもむろに不破研究員の長靴を手でつかみ、自分のおなかに当てました。
きっとこの時、ツバキは「なんか出そうだけど、なかなか出ないから長靴で押して」とでも言っていたのでしょう。
不破研究員は、すぐにツバキの気持ちを察知し、ツバキのいきみに合わせて、おなかを長靴でぐっと押しました。
羊膜(胎胞)が5cmくらい見えました。白い膜の中に羊水が揺れているのが見えました。

頭はまだ見えません。しばらくすると、また羊膜も見えなくなってしまいました。がんばれ、ツバキ。もうすぐお母さんになれるよ。

午前9時20分。

ツバキがまた強くいきみました。それに合わせて不破研究員が長靴で押します。
ツバキのお尻から白い羊膜に包まれた赤ちゃんの頭が見えました。
次の瞬間、白い羊膜に透けてあの3Dエコーで何度も見た赤ちゃんの顔がはっきりと確認できました。

首の辺りまでにゅるっと出て、羊膜が破れました。
さらに最後のひとふんばりで羊膜が破けながら「ちゃぷん」という音と共にワラの上に赤ちゃんがあおむけで落ちました。

部屋中に一気に血のような臭いが立ち込めました。

午前9時22分のことでした。

「ギャーギャー」と赤ちゃんが元気に産声を上げた瞬間、ツバキがおろおろとしながらもしっかりと両手で赤ちゃんを抱きあげました。

そして、急いでワラを自分の周りに集めてベッドを作り、まだびしょびしょの赤ちゃんの顔や手足についた羊膜を丁寧になめてあげていました。
ツバキに抱かれた本当に小さい赤ちゃんは、ぷっくりとしたピンクのお尻がかわいい、女の子でした。
おめでとう、ツバキ。よくがんばったね。

「赤ちゃんが無事元気に生まれた!」そして「ツバキがちゃんと赤ちゃんを抱いた!」
このことで、スタッフ全員ほっと胸をなでおろしました。
でもそれも、つかの間。 ツバキと赤ちゃんをつないできた胎盤や臍の緒などのサンプル採集班、ツバキと赤ちゃんの撮影班、
電話連絡班・・・などスタッフはバタバタと動きます。

「ツバキの出産」を振り返って、長靴でツバキのおなかを押した(笑)不破研究員はこう言います。

「自分のいきみに合わせて長靴で押させたツバキは、出産の経験をしたことがないにもかかわらず、よく知っている。ツバキの中に野生の本能を感じた。
それと同時にツバキが自分を頼りにしてくれたことに喜びを感じた。」と。

「ツバキがんばれ!」の思いはスタッフ全員の気持ちだったと思います。

6月中旬、ツバキの出産に備え、スタッフみんなで近くの神社に安産祈願にも行きました。

6月20日の予定日をとっくに過ぎても産まないツバキを心配し、7月7日の七夕には、みんなでツバキの安産を願って願いごとも書きました。
・・・そして、ツバキはみんなの期待に応えてくれました。初めは上手に赤ちゃんを抱けず、もも(鼠径部)にはさむだけだったけど、

今ではしっかりと手で赤ちゃんの頭を支え、胸に抱いています。

赤ちゃんの名前は、60以上もある候補の中からスタッフ全員で第3次選考まで行った結果、「ナツキ」に決まりました。
夏に生まれたツバキの子ということで、「夏椿」と書いてナツキです。
類人猿研究センター6人目のチンパンジーです。

「出産」という経験をしたからこそなのでしょう、ツバキはすっかりお母さんらしくなりました。
今、そんなツバキ母さんの愛情をたっぷりと受け、ナツキはすくすくと成長しています。

そんなツバキを見ていたら、「私もやっぱり子ども生みたいなあ」と思わずにはいられませんでした。
一方、同じく出産に立ち会ったミズキとミサキはツバキの出産時も相変わらず隣の部屋でケンカばかりしていて、出産を見ていたのかよく分かりません・・・。
でも、きっとこれからツバキの子育てを見て学んでくれるはずです。

「出産」はすごい!「母」は強い!ツバキの出産に立ち会って本当にそう感じました。
これからもツバキ母さん、そしてナツキの成長の様子をお届けします。どうぞ、お楽しみに。

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