チンパンジーえにっきイメージ

岡山県玉野市にあった類人猿研究センター(GARI)で研究のパートナーとして暮らしていたチンパンジー8人。
彼らのようすを、写真を添えてつづってきた2004年8月から2013年3月までの「えにっき」の記録です。

2013.3.28「お別れ」

ロイ、ジャンバ、ツバキ、ミズキ、ミサキ、ナツキ、ハツカ、イロハという類人猿研究センター(通称GARI)で育ってきた8人のチンパンジーが熊本へ旅立ってから、2カ月が経ちました。

「チンパンジーはみんな行ってしまった。GARIももうなくなる。あとは、みんなのしあわせを願うことしかできない。」
頭ではその事実を受け入れるしかないと分かっていても、どうしてもすんなりとは受け入れらませんでした。
別れの頃の出来事は、思い返せない、写真も見られない、毎日毎日彼らと向き合った実験エリアにも行けない、という日々が続きました。

私がはじめて実験エリアに入ったのは、彼らがいなくなって一ヶ月後のこと。
そこは、最後に4人を送り出した1月24日の朝のままになっていました。

最後に、彼らとの別れの日をお伝えしたいと思います。

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当日ホワイトボード

岡山から熊本までトラックで移動をして8時間はかかります。
熊本で、チンパンジーのみんなを新施設に入れる時間を考えると、午前中には岡山を出発しなくてはなりません。
一日に4人、ひとりずつ麻酔をかけることが決まっています。
麻酔をかけてオリに入れ、全員が麻酔から覚めるのを待ってから出発します。
麻酔をかけるのは、空腹時の朝食前。
私たちは、彼らに嘘をついて麻酔のための誘導のトレーニングを半月以上も繰り返し、それを朝食時間に組み込んでトレーニングを繰り返しました。また朝食開始時間も移動日本番の時間に合わせて、彼らに気づかれないよう少しずつ少しずつ時間を早める調整をして、毎日トレーニングを続けてきました。

夜明け前

1月21日の移動日は、夜明け前の5時に出勤。

「今日が別れの日なんだ。」

まだ真っ暗な海の景色を眺めながら、寒い日が一段と寒く感じました。
スムーズに麻酔をかけさせてくれるのか、暴れてスタッフが危険になるようなことはないのか、チンパンジーもスタッフも無事でいられるか、本当に何が起こるかわからないという緊張感。うまくいっても別れが来るやりきれなさ。これまで味わったことのない気持ちだったことを今も鮮明に覚えています。

察しのいいアルファオスのロイから、実験室に誘導しトレーニングどおりにはじまりました。おなかが空いて食べたくて、スムーズに実験室に入ってくるようにするために、前日の夕食は最後の晩餐にもかかわらず、夕食の量をかなり減らしていました。

最後の晩餐

(最後の6人での夕食)

こちらの思い通りに、「アッアッ」とフードグラントと呼ばれる食べ物を前にした時などに出すうれしい声を出し、すぐに実験室に入ってきました。

いつものように、スタッフ4名がロイと同室しました。
確実に私たちスタッフも緊張しています。でも、それを表に出すとロイに伝わってしまいます。
ロイは、私たちの様子がおかしいことに気づいているのかいないのか、きっと気づいているのだろうけど、それでも私たちは精一杯心の内を隠して、まずはお互いの緊張をやわらげるために少し追いかけっこをして遊びました。
ロイが少し楽しくなったところで、遊びをやめ、きちんと座らせてごほうびのフルーツを手渡し、不破さんが麻酔の注射を打ちます。ロイはトレーニングどおりいい子でした。

麻酔薬が全量左腕から入り、少し経った頃、ロイの体の中に変化がおきたことに彼はすぐに気が付きました。

食べる口の動きが止まり、すぐに自分の左腕を触り、そしてそのまま脇に置かれていた空の注射器に目をやりました。
そのあと、ロイは緊張した目で4人のスタッフのひとりひとりの顔を順番に見ました。
ロイと目が合った瞬間、とっさに「大丈夫よ。」と皆、声をかけましたが、あきらかに注射を打たれて自分に異変が起きたということを察していて、私たちに「何かをされた!」と思っていることを確信しました。

そのあと、すぐにロイはもうろうとしながらも足をふみならしたり、いつもなら絶対にしてはいけないルールだった天井にのぼろうとしたり、抵抗して暴れようとするようすでした。
今まで私はロイとつきあってきて、不思議と「こわい」と思ったことがありませんでした。私はロイを信頼しているし、ロイも私を信頼してくれている、だから私に襲いかかることはないだろうという根拠のない自信がありました。

でも、意識がもうろうとしかけているロイは別人。はじめてロイを「こわい」と感じ、自分の足が震えているのがわかりました。
そして、「ロイがこのあと目を覚ましても、きっと私はもう会うべきじゃないんだろうな」と瞬間的に思いました。

ロイ不安な表情 ロイ麻酔

(不安な表情で上を見るロイを落ち着かせる)

ロイは閉じようとする目を何度も必死に見開き、麻酔が完全に効くまでに時間がかかりました。アルファオスとしての最後の必死の抵抗だったのかもしれません。

無事、オリが置かれた廊下までロイを運びオリに入れると、待機していたスタッフによってゆっくりと静かに扉が下ろされ、静かにトラックまで運ばれました。

オリに入れる

(ひとりずつオリに運び入れる)

スタッフ間の綿密な打ち合わせによって、残るジャンバ、ナツキ、ツバキは、だれひとり“みんなが姿を消していっている”ことに気づかず、スムーズに実験室に入り、トレーニングどおりに麻酔の注射を打ち、4人全員がトラブルなくトラックまで運ばれて行きました。

ナツキ麻酔エントランスで待機 トラックに運ぶ

(左上:麻酔薬が効き意識がなくなっていくナツキ、右下:覚醒するまでようすを確認する
左下:トラックに運ぶ)

 

「ロイにはもう合わせる顔がない」と思ったので、注射を打った不破さん、そして私は、どうしてもみんなを見送りには行けませんでした。ただ、別れを実感するのがこわかったのかもしれません。

遠くからトラックが出発の準備をしているのを見て、そのトラックの中に4人がいることを想像し、辛くて涙が止まりませんでした。

トラック待機

ジャンバは心配した通り昏睡中に激しいけいれんを起こし、覚醒した後は「キャーキャー」泣き叫んでいました。経過確認のため様子を観察していた獣医の洲鎌さんからのトランシーバーでの報告時、洲鎌さんの声のうしろでジャンバが泣き叫ぶ声が聞こえてきました。予想はしていても、「目が覚めたら狭いところに入っていた」という、臆病なジャンバの不安を思うとやり切れない気持ちでいっぱいになりました。

午前11時20分。4人を乗せたトラックがついにGARIを出発しました。

トラックの中泣くジャンバ

(上:ジャンバのようすを確認する 下:泣き叫ぶジャンバ)

 

「まだ、ミズキとイロハ、ミサキとハツカがいる。気持ちを切り替えて、残る4人と向き合わねば!」
4人が旅立ったあと、精一杯元気にふるまい残る4人と向き合いました。
でも、その4人とも2日後にはお別れです。

4人だけ、しかも女の子だけになってしまうと、これまでとは違う雰囲気になりました。ディスプレイもなく、とても穏やかではありますが、「活気」は一気になくなった気がしました。
ミズキもミサキもロイたちがいなくなったことが不安で不安で仕方がないようすで、ミサキはイライラしたり、ミズキは食欲がなくなったりしました。

朝食も実験も夕食も、4人だと時間が半分になり、すぐに終わってしまいます。
準備する食事の量も少し。そうじの時間もすぐに終わる。
たしかに仕事としては楽ですが、なんだかさみしい。
やっぱり8人いてこそGARIなのだと感じました。

21日の夜、無事ロイたち4人が熊本サンクチュアリに着き、新施設に入ったと連絡が入りました。
みんな、当然ですがとても緊張して落ち着かず、食欲もないとのこと。
ロイはしきりに自分の胸に手を当てる手話をし、自分の意思を伝えていたそうです。
この手話はGARIでロイだけが使っていた「帰りたい」というサイン。

いつもは、一人で実験室に入っている時間に群れの仲間のようすが気になる時や運動場に戻りたい時によくこの「帰りたい」というサインを出していました。
「帰りたい」と言われても、もう帰してあげられない、そのサインを訴えられたスタッフも辛かったと思います。
もちろん、その報告を受けた私たちも辛かったのです。

ロイ、ジャンバ、ツバキ、ナツキがいなくなった日から、夜は広い居室でミズキ、イロハだけのぽつんと寂しい寝かしつけになりました。

寝かしつけ

たった2日間でしたが、残る4人と精一杯付き合い、1月24日、ミズキ、イロハ、ハツカ、そして、直前までかなり注射を嫌がっていたミサキも、大きなトラブルなく麻酔を進めることができました。

ミズキに注射を打つ

ミズキ・イロハ親子がトラックに運ばれ、次にミサキ・ハツカ親子の麻酔です。
ハツカに麻酔の注射を打った後、これからハツカに起こる異変をミサキに気付かせないようにするため、私がすぐにハツカを抱っこし、いつもどおりを装いました。ハツカは私の腕の中で意識がなくなっていきましたが、抱きついてくれない20kgがこんなに重いものなんだということを実感すると同時に、この時が、4年間毎日のように抱っこしてきたハツカの最後の抱っこになりました。

それぞれのスタッフがそれぞれの任務を確実に終え、10時50分にGARIを出発。
今回は、私を含む飼育に関わってきた4人のスタッフが、彼らとの最後の仕事として熊本まで同行しました。

24日の夜、新施設に無事ミズキ、イロハ、ミサキ、ハツカの4人が入りました。
ミサキは移動中、必死にオリから出ようとしたようすで、爪ははがれ、指の皮はむけて出血し、とても攻撃的になっていました。
新しい寝室に入っても、あらゆる隙間に傷だらけになった指をかけては出られる場所を探し、私たちがミサキを呼ぶの声も耳に入っていません。
ミサキは完全にGARIにいた時のミサキではない状態でした。

同じエリアの隣の部屋にはすでにロイたちが2日前に来ています。
裏切ったという思い、今さら彼らに会ってもどう声をかけてよいのか…という複雑な思いがあり、彼らと顔を合わせるべきか悩んだままおそるおそるロイたちにも会いに行きました。
たった2日前に別れたはずなのに、すでにGARIにいた時の私達との関係とは変わっている、とすぐにわかりました。

どれだけ真剣につきあってきて、どれだけまだ愛情があったとしても、彼らにとってこの上ない大きな出来事があったあとでは、以前とまったく同じ信頼関係を保つことはできないのだな、残念ながらそう感じた日でした。
熊本でもう一度みんなに会って本当によかったのかわからない、そんな思いが残りました。

お守り

 

ロイ、ジャンバ、ツバキ、ミズキ、ミサキ、ナツキ、ハツカ、イロハという8人のチンパンジーが旅立って2カ月。
もうすぐこの類人猿研究センターもなくなろうとしています。

私たちが彼らと築いてきた14年間を無駄にしないためにも、いつの日か8人のことや、彼らをはじめとするチンパンジーのことをまた伝えていければと思っています。

第一放飼場での給餌

熊本での新しい生活をはじめた8人。
GARIでは人一倍もりもり食べていたミズキの食欲はなくなり、体重もかなり減ったそうです。でも、娘のイロハは元気いっぱいのようす。2か月が経ち、みんなそれぞれにいろんな思いを持ちながら新しい生活を受け入れ始めているようです。
彼らがこの先もずっと幸せに暮らしていけることを、心から願っています。

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2004年8月から約8年半えにっきを書かせていただきました。
まだまだ伝えたいことがたくさんあり心残りではありますが、みなさまのこれまでの応援に深く感謝いたします。

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